フルコンバ

短編小説▶2台の旧車



名栗湖を過ぎたあたりでトイレ休憩をする。
隣接したバスターミナルには登山客で賑わっていた。
初老の登山客が近づいてきて、Jの愛車に近づいて感慨深そうに眺めている。

「…これはCS90ですね?」

どこにもモデル名を刻んだところがないのにその初老の人は言い当てた。

「フラットトルクで扱いやすいんだよねえ」。

CS90は、ホンダ初のTボーンフレーム採用のオートバイで、フレーム全周熔接により剛性に優れるとのことで、排気量90ccにも関わらず最高速100km/hに達する。

100km/hスピードの世界では、フレーム剛性が重要となってくる。
ヨレヨレのフレームでは乗り手が恐怖を抱くし、サスペンションが正しく仕事ができない。

メルセデスベンツのクルマづくりに「シャシーはエンジンよりも速く」という思想があるが、オートバイにも当てはめることができる。
フレームより速いエンジンは、ただ怖いオートバイなのである。

聞くと、この登山客は子の権山に登山するのだそう。

山伏峠の九十九折りをリズミカルに2台のオートバイが駆けていく。
早朝なので車は全くと言っていいほど居ないために走りやすい。
近くに正丸峠がある。イニシャルDの舞台となった場所だ。

小さな神社がある。
大半のライダーはカーブでしかも坂道の途中であるから、立ち寄ることはない。
車も、道路幅の関係で停車するわけにもゆかないので、おいそれとは行けるようなロケーションではない。
一度、私はだいぶ下の場所にオートバイを停めて、この小さな神社に立ち寄ったことがある。そこで鹿を三頭見た。鹿は私の存在を認めると、音もなく去って行った。

峠を越えて降りてゆくと、横瀬町に入る。
道の駅芦ヶ久保がある。
埼玉エリアのライダーではこの芦ヶ久保が一番有名ではないだろうか。
たいていの週末は夥しい数のオートバイで溢れているが、凍結が心配されるこの早朝では流石に少なかった。
私達がこの道の駅に滑り込んだ時、先客として居たのはスーパーカブと夫婦ツーリングしていると思われるスクーターの2台のみであった。
奥さんと思われる人が、私のK1200RSを見て「大きいわね」と誰に言うまでもなく、そう漏らした。
私のマシンはツーリング仕様なのでフルパニアはもちろん、トップケースも装着している。
総重量は280kgを超える。

途中からスーパースポーツが入ってきた。
ツナギを着ていた。
凍結が心配されるこの時期、時間にその服装しか無いのだろうか…と思った。
我々オートバイ乗りとは対照的に、車の数は多かった。

芦ヶ久保を飛び出し、道なりに走っていく。
途中で「ようばけ」という看板が目に入る。
まるでお化け、のような名称である。
今日は明確な目的地があるので…パスしよう。
この"ようばけ"はツーリングの宿題である。
後ろ髪を引かれる思いで走り抜けた。

段々と志賀坂峠に近づく。
先に駆けた山伏峠のような雰囲気を持つ道路だ。
トンネルを抜ければそこは群馬県多野郡神流町。
神流町とは、日本で最初に恐竜の足跡が発見された場所で有名である。
また、釣り人からすれば釣りスポットでも有名とのことである。
凍結箇所に気を使いながら、山間を走っていく。
ところどころに集落が存在している。
近所の人同士で話をしている様子が長閑である。

峠を下り、小さな橋を渡り左に折れる。
右に折れれば神流湖がある。

左に折れた後、少しして恐竜が目に入る。
ここが目的地だ。「神流町恐竜センター」という。
道中、ほとんど車には合わなかったのに、意外にも駐車場は車が多い。
中に入ると暖房が効いていてホッとする。
子供連れの家族が多い。
というか、それしかいない。
父子の組み合わせが目立った。
夏になればもっと賑やかになるだろう。

恐竜センターの内部は様々な展示物があり、見て触れて学ぶことができる。
私は初めてこういったものに触れるのだが、大人になった今新鮮である。
私の思う「知のツーリング」とはまさにこういうことだ。
地名や道路を知っているだけでは何にも自慢にならない。
ただオートバイに乗っているだけだ。
私は五感で風景を捉え、オートバイを降りた後はその地域について、これまた五感を使って知りたいと思っている。

知のツーリングが1つまた叶ったところで、2台のオートバイは左に神流川を見ながら走っていく。
ほどなくして、JAのガソリンスタンドが併設された道の駅上野に到着する。
ここは最近リニューアルオープンされたばかりで、明るく開放的な施設となっている。
私は一度、初夏に訪れたことがあるが大型のガラスウインドウに溢れんばかりの緑、テラスからは川のせせらぎが聞こえてとても心地よかったのを記憶している。
今は冬であるから、そのような風情は望めないが、冬枯れのテラスもまた旅情的である。

今回の国道299の旅はここまでである。
これ以降も299は続いており、途中から「メルヘン街道」と名前がつく。
去年の台風の影響でこの上野村から先の道路が閉鎖されており、長野県側へ抜けられないのである。
道志みちも同じような状況で、ツーリングライダーとしては悲しい限りである。

さて、道の駅内にあるレストランでイノブタ定食を頂いた。
相方はイノブタが入った鍋定食だ。
時期が冬だからか、来客数が少なくて個人的にはゆっくり過ごせて気持ちが良い。
あまりにごった返した観光地…例えば八王子の滝山など…は気疲れするのだ。

このレストランの料理はどれも値段が良心的で美味しい。
他にイノブタが使われたコロッケや餃子を注文してしまった。
イノブタは肉質が柔らかく美味であった。
こういう食べる楽しみもまた、ツーリングの醍醐味であろう。

腹を膨らませて外に出ると、雲が低く垂れ込んでいつの間にか日差しが消えていた。
すぐ近くのスカイブリッジに向かった。
道中、大変にぬかるんだ道路に出くわした。
スタンディングでやり過ごす。
重量車はこういう道路が大変だ。
砂が撒かれ、工事で鉄板が敷かれたシチュエーションをやり過ごしながら、白い鉄塔が目に入った。
スカイブリッジである。
全長225m最大地上高90mのスケールを持つ歩行者専用の橋だ。
時間帯によってはシャボン玉が吹かれているらしいが、私達が訪れた時は残念ながらなかった。
往復料として100円が必要で、入金ポストがある。
ポストの脇に、記念スタンプが押せるパスポートが置いてあり、それを引き換えにもらう。
橋を渡りきると、関東最大級と謳われた不二洞がある。
売店で800円を払い入場券をもらう。

不二洞の入り口まで歩く。
日原にある日原鍾乳洞のようなイージーアクセスを予想していたが全く裏切られた。
歩かされるのだ。
登山しているような気分で、すでに二人は汗だくである。
自動音声が聞こえてきて、そろそろ不二洞の入り口だと思い、シルバーの扉を開けると…そこには通路がまだ続いていた!不二洞をまだ見させてくれないのだ。
二人してため息を漏らした。
ライダースジャケットの下は、冬の屋外であるにも関わらず汗だくだ。

ずっと奥の扉を開けて、やっと不二洞の入り口に取り付けた。
しかし、内部は涼しくない。
外の気温よりも高いようだ。
しかも今度は縦方向に歩かされる。
螺旋階段が目の前にあり、これを登る以外には帰るという選択肢しかないのだ。
途中で段数が書いてある看板があるが、それが余計に長く感じた。
螺旋階段を上がりきった時、二人はサウナ状態であった。
案内板には、一周40分と書かれていた。

悠久の時を経てこの鍾乳石が生成されたことを考えると恐ろしい。

鍾乳洞のスケール感としては、日原鍾乳洞の方があると感じた。
不二洞は高さ方向にスケールがあるのだ。

二人が不二洞から出てきた時、入場券は汗でぐしゃぐしゃだった。

不二洞の入場券には、喫茶券もついてくる。
不二洞を見た後は、スカイブリッジ向こうにある喫茶店でコーヒーかジュースを飲んでください、という計らいである。
ありがたいものだ。

スカイブリッジを再度渡り、喫茶店に足を運ぶ。
周囲がガラス張りの店内は、夏になれば鮮やかな緑が映えるだろうと思われた。
今は冬枯れの木々しか見えず、少し寂しい。
誰もいないロッジを横目に、私はセルスターターを、相方はキックを踏み降ろした。
再び2台のエグゾーストノートが山間に響く。

すでにさっきの疲れは意識の外である。
これだからバイク乗りは単純なのだ。

秩父市内の渋滞を考えて少しアクセルを開け気味に走る。
2つの峠に別れを告げ、ポツポツと降り出した雨の中2台のオートバイは名栗湖にある「さわらびの湯」に滑り込んだ。
さわらびの湯の火種は、この近辺で採れた木材をペレット加工にしたもので燃しているそうだ。
露天風呂はあるが景観は望めなかった。
「天」が見られるだけマシであろう。

静かな雨に当たりながら、2人のライダーは旅の疲れを癒やした。
冬の日暮れは早い。

完全に暗くなった名栗村の道を走る。
2台はまるでたまたま走り合わせたライダーのごとく、自然と二手に分かれて、お互いのテールライトが遠ざかった。
\ この記事をシェア/
Image

この記事を書いた人
Author
Lorem ipsum dolor sit amet, consectetur adipiscing elit, sed do eiusmod tempor incididunt ut labore et dolore magna aliqua. Ut enim ad minim veniam, quis nostrud exercitation ullamco laboris nisi ut aliquip ex ea commodo consequat.

フルコンバ

週末は森にいます