【紀行文】奈良井宿
雨の山間部を走っている。
「木曽路は全て山の中」という島崎藤村による書き出しはあまりにも有名。
やり直すと決めて戻ってきたあの地から、逃げるようにして長野へ舵をとり、木曽路を走っている。
やり直すと決めて戻ってきたあの地から、逃げるようにして長野へ舵をとり、木曽路を走っている。
思い立った今日が、別に雨でもよかった。
今日、どこか行ったことのない場所へ行って、泊りがけのツーリングをしたかった。
息が詰まるようなこの場所を離れて、知らないところに身を置けば、少しは冷静になれるかもと考えていたかも知れないし、ひとっ走りして雑念を少しでも忘れようとしていたのかも知れない。
けれども、木曽路はそんな雑念を忘れさせてくれるようなワインディングロードではなかった。ただひたすら、山の中の道路なのだ。
今日、どこか行ったことのない場所へ行って、泊りがけのツーリングをしたかった。
息が詰まるようなこの場所を離れて、知らないところに身を置けば、少しは冷静になれるかもと考えていたかも知れないし、ひとっ走りして雑念を少しでも忘れようとしていたのかも知れない。
けれども、木曽路はそんな雑念を忘れさせてくれるようなワインディングロードではなかった。ただひたすら、山の中の道路なのだ。
しかも雨の中、ほとんどオートバイを傾ける機会に恵まれず、似たような景色の中を走るライダーは、自然と考え事をしてしまう。
オートバイと駆けることで、少しでも忘れられたはずなのに。
木曽路は永遠と続く道のように思えた。
右手に道の駅が見えて、休憩を思い立ってウインカーを出した。本当は停まることなんて億劫で、奈良井宿まで走りたかったが、雨の窓際でコーヒーなんて飲みたいなと思い、喫茶店があることを期待した。
でも手前の看板で奈良井宿まで2km、と書かれていたのを目にしていたので、もうすぐ到着することを思えば、少し安堵して停まる気になったのだ。
道の駅は本日、閑古鳥が鳴いている。
木造造りのこの施設は、木曽路がやはり「木」に恵まれた地域であることを教えてくれる。
木曽路に魅せられて海外から移住したという方が経営する喫茶店に入った。店内は店主以外誰もおらず、静かにクラシックが流れていた。
コーヒーを注文し、木の窓枠から泣きっぱなしの木曽路の空を見た。
風変わりなカップにコーヒーが入った状態で来た。
これはククサといって、北欧フィンランドの民芸品である。フィンランドも山による恵みを大いに受けている地域という点で、木曽路と同じだ。
お世話になっていた人達がいた。
僕が下町ロケットに憧れて、町工場に転職したことで小さな集落の人達と縁ができた。
僕が初めて知ったこの田舎は、とても過ごしやすかった。
今思えば、田舎の陰湿な部分には気づかなかったのかも知れない。
町工場の社長とは反りが合わず、僕は短期間で工場を去った。この地域にはそれ以外のまともな勤め先がないため、埼玉へ出稼ぎに出た。3年ほどだった。
新型コロナウイルスが流行った頃に、僕は再びこの集落に戻ってきた。出稼ぎに出た当初は戻らないと思って、家を引き払ったものの、再び違う場所で住居を構えた。
僕はただ埼玉から出稼ぎが終わって帰ってきたのではなく、個人事業主となってこの地に帰ってきたのだった。ただ、それだけでは食べていけなかったから、集落の小さな飲食店でアルバイトをしながら、自分の事業をやっていた。
はじめこそ上手くいっていたものの、だんだんと田舎特有の人付き合いに嫌気が差してしまったのだ。
お世話になっていた人達がいた。
僕が下町ロケットに憧れて、町工場に転職したことで小さな集落の人達と縁ができた。
僕が初めて知ったこの田舎は、とても過ごしやすかった。
今思えば、田舎の陰湿な部分には気づかなかったのかも知れない。
町工場の社長とは反りが合わず、僕は短期間で工場を去った。この地域にはそれ以外のまともな勤め先がないため、埼玉へ出稼ぎに出た。3年ほどだった。
新型コロナウイルスが流行った頃に、僕は再びこの集落に戻ってきた。出稼ぎに出た当初は戻らないと思って、家を引き払ったものの、再び違う場所で住居を構えた。
僕はただ埼玉から出稼ぎが終わって帰ってきたのではなく、個人事業主となってこの地に帰ってきたのだった。ただ、それだけでは食べていけなかったから、集落の小さな飲食店でアルバイトをしながら、自分の事業をやっていた。
はじめこそ上手くいっていたものの、だんだんと田舎特有の人付き合いに嫌気が差してしまったのだ。
…気づいたら、雨が上がった。
雨雲レーダーを確認すると、どうやらこの先には雨はもう降らないらしい。少し気分が晴れた。滴り落ちる水を払い、パニアケースの中へレインスーツを放り込んだ。
クラシカルなシングルエンジンがキック一発で目覚める。
最近はSNSの普及で、どこもかしこも観光地化して俗化が激しい印象を受ける。
その場所を訪れたいのではなく、その場所を訪れた自分を写真に撮ってSNSに上げたい、という動機があるような気がしてならないのだ。
土産物屋に入って、珍しいものを写真に収めるけど、買いはしない。それらは、彼らにとってSNS撮影における”小道具”でしかないのかも知れない。
遠くに見える山に雲がかかっている。
オートバイを一日500円という無人化した有料駐車場に停め、料金箱にお金を放り込む。
初めての奈良井宿だった。
今日、ここを訪れるまでは奈良井宿というのはパンフレットや地図の中の存在でしかなかった。
遠くに見える山に雲がかかっている。
オートバイを一日500円という無人化した有料駐車場に停め、料金箱にお金を放り込む。
初めての奈良井宿だった。
今日、ここを訪れるまでは奈良井宿というのはパンフレットや地図の中の存在でしかなかった。
宿場町としての歴史を感じさせる建物が、ずらりと並んでいる。相応の年月を経たものでしか出せない味わいを身にまとっている。しかも統一感が出ており、建物の統一感で言うと、これは現代の分譲一戸建ての似たりよったりのものとは全く異質だ。
これらが、美しい。奈良井宿は奈良井川に沿って1kmほどの長さで宿場町を構成している。
今は観光地ではあるが、実際にそこには人々の”生”の生活が営まれている。現在進行形で、だ。
連綿と続く木曽路の歴史の途中に、今自分が居る、という感覚。それを見届けている、という傍観者の感覚。とても不思議だ。
昔の人々は、この山々の中を自らの足で歩き、各地の宿場町で寝泊まりをしながら旅をしたり、物資を届けていたのだ。
ツーリングは、知の旅であるべきだと思う。
ただ速く走ることや、トリップメーターの数字を重ねるだけが、オートバイの楽しみ方ではない。
生身の体で、景色の中へ入っていき、そこに連綿と続いている歴史の息吹を感じ取る。ツーリングはオートバイに乗っている間のことではない、目的地に到着するまでの間にも、たくさんのドラマがある。
それを自分の五感を使って感じ取り、考え、人生の糧にしていくことが大切なのではないか?
オートバイは走っていくたびに、頭の中が空っぽになっていく。峠をサーキット代わりにして走る奴らの頭の中は、常に空っぽだ。
私は、彼らとは違う存在でありたい。空っぽになっていく頭を、常に旅の先々で感じ取れる「知性」で満たしておきたいのだ。
さて、清流が流れている用水路に腰掛けて、今日の宿はどこにしようか考えている。
芸がないが、手持ちのスマートフォンで検索をすると、奈良井宿から少し離れたところに安い宿があった。早速連絡を取ると、宿の主人は快く受け入れてくれた。
奈良井宿から900mほど離れたところ、奈良井宿の入り口と言われている鳥居峠と鎮神社よりさらに奥にある。「峠の宿 あおき」という民宿だ。
ここの民宿は、ほんとうの意味での民宿で、オーナーは80歳を超えている。普段は一人暮らしで、宿の予約がある時にだけ、町から女中を呼んでいるのだそうだ。
やはりここでも、立派な木材で家が作られていた。案内された部屋は民宿らしい和室だ。窓からは煙が立ち込めている木曽路の山が見える。宿泊者は私一人しかいないので館内はとても静かだ。
旅装を解き、本を読んでしばらくしていると、お風呂の準備ができたとのことで入らせて頂く。それにしても、どこを歩いても木材だ。床が軋むのも、また新鮮だ。
浴室を開けると、木でできた浴槽で、桶も椅子も木製だ。高窓が開いていて、山の新鮮な空気と湯気が戯れている。湯水はおそらく普通の水道水だと思うが、それにしてもお風呂場の雰囲気が良い。
満足になって湯船を上がると、山の幸で溢れた夕食が待っていた。一部は町から買ってきたものもあるというが、普段はこんな豪勢な夕食を食べることはないので、とても有り難い。
幸福な気持ちで腹を満たし、部屋に戻ってゆっくりしていると、雨の中を走ってきた数時間前の記憶が蘇ってきて、まぶたが重くなってきた。
外は再び雨が振り、静まり返った宿にしとしとと雨が落ちている。
こんな静かな夕食後を過ごしたことがあっただろうか?静かな、贅沢だ。
あの町から逃げるようにして出ていった朝の自分を忘れて、私は幸せな気分のまま眠った。
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