【短編小説】最後のインカム
2台のオートバイはテンポよく山間の道路を駆けていく。
ZZR1100がR1200RSを突つく形で右へ左へバンクしながら、コーナーをクリアしていく。
夏が終わり、うだるような暑さが過ぎ去って、風が涼しくなってきた時期だった。
僕らは鈴虫が啼く、まだ陽を見ぬ時間から出発していた。
僕らは転職先の同じ職場でたまたま同期になったに過ぎなかった。
お互いが同い年だと知ったのは、入社してずいぶん後になった時だった。
仲良くなったきっかけは、ツーリング先の道の駅で偶然に出会ったからだった。
真冬の寒い日だったのを覚えている。
自分以外オートバイ乗りがいない、早朝の道の駅で休憩をしていると一台のオートバイが滑り込んできた。それが彼だった。
同じ趣味であったことに驚き、以来、都合さえ合えばどこにでもツーリングに行った。
オートバイの趣味以外にもカメラが好きだった。俺はニコン。彼はキヤノン派だった。
似たような趣向だから、よく討論をした。
時には熱が入りすぎて喧嘩にもなった。
今となっては良い思い出だ。
キャンプにも行ったし、釣りにも行った。
どこへ行くにも一緒だった。
大菩薩峠を踏破した時も、彼と一緒だった。
思えば、初めてのことをする時には、いつも彼が一緒だった。
僕らのツーリングは淡々としている。
旅先で不必要に騒がないし、休憩の少ない走り方や、無意味にトリップメーターを刻むだけのツーリングにはしなかった。
いろんな人とツーリングに行ったことがあるが、彼ほど自然体にツーリングを楽しめるのはいなかった。
ある時、僕は地元の友人から一緒に事業をやらないかと誘われた。
今の会社には満足している。周囲から見ればやめる必要もないかもしれない。
でも僕は、自分で会社を起こして、自分の裁量で仕事をしてお金を稼ぐという姿に憧れを抱いていた。
しばらく考えて出した結論は「再出発」だった。
僕は残りの有給を使って会社を去った。でも、今目の前を先導している彼には伝えていない。
言えなかった。言うタイミングを逸してしまって、時間だけが経って余計に言えなくなった。
そのまま時間が流れてしまった。
◆◆◆
──俺の相談なしに、あいつはいきなり辞めていった。何をするにも一緒だったから、会社を辞める相談をしてくれなかったことはショックだった。お互いに連絡するきっかけを失って月日が経っていた。風の噂で聞いていたのは重機のメンテナンス業を始めたということだった。
初夏の陽射しが見えてきたある日、俺は事故であいつが亡くなったと聞いた。作業中に倒れてきた重機の下敷きになって命を落としたのだった。
──俺は夏のある日に気晴らしにツーリングをした。あいつからもらった革ジャンを着た。
供養の意味でもあった。久々のソロツーリングだった。あいつと走った懐かしいルートを、思い出をたどるようにして走っていく。
突然インカムが入った──。インカムのペア相手はあいつしかいない。
しかし、俺は走りながら周囲を見ても、あいつの姿は見えなかった。
嘘だと思った。でも俺は震える手で受話ボタンを押して通話を受け入れた。
「もしもし─聞こえるかな…」
2人の間に沈黙が流れる。
それでもオートバイは操るのだ。
お互いの排気音が耳元でダブって聞こえる。
まるでセミの合唱のようだった。
お互いの姿は見えない。
「…お前…本当にお前か?」
「…本当にごめん」
「俺は一人だよ、寂しいよ…」
涙が溢れ出てきた。それでもオートバイを操る。
お互いの姿は見えない。
「……」
沈黙が再び流れた。
排気音の中に、かすかに聞こえた。
あいつは泣いているようだった。
「…よく聞こえないけど、なんか言ったか?」
泣いていると確信が持てそうで、でも嘘であってほしいという期待が、的はずれな呼びかけを起こした。
「…とう」
微かに聞こえた。
その直後、ストレートに差し掛かったところであいつが追い抜いて停まった。
オートバイは変わらなかった。あの日のままのあいつがいた。
俺のあげた革ジャンを着て、傷だらけのヘルメットもそのままだった。
あいつは後ろを振り向かずに続けた。
「…今日が最後なんだ。今までありがとう。これを伝えにきた。」
そう言うと、あの日のままのあいつは、フルスロットルで加速した。
確かに、排気音が聞こえた。確かに、排気の匂いがそこに漂った。
インカムはまだ切れていないようだ。
俺はヘルメットの中で泣きじゃくりながら叫んだ。
「ありがとう!ありがとう俺の親友!お前の分まで走り続けるよ!いつかまたツーリングしよう!」
言葉にならなかった。
半ば絶叫していたと思う。
あいつは最後、左腕を挙げてコーナーの先に消えた。
──インカムが、無情にも通信が途絶えた音を出して、切れた。
今のは現実だったのか分からなかった。
でも、あいつが俺にさよならを伝えにきた。
俺はアイドリングしているのを忘れたまま、ただひたすら泣いた。
胸に手を当て、あいつからもらった革ジャンを触った。
それをぎゅっと握り、俺はヘルメットを脱いだ。
夏の陽射しが鬱蒼と茂る木々の間から降り注いでいた。
ここに俺以外、誰もいなかった。
セミの合唱の中、まるで夢のような感覚に溺れた。
さっきのは白昼夢だったかも知れない。
涙は乾いていた。
ヘルメットを被り直し、俺は一速にギアを入れゆっくりとクラッチを繋いだ。
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