▶羞恥の頁
同じクォーター乗りで、彼とはSNSで知り合った。SNSの内容を見る限り、自分と価値観が合いそうな人で実際に会ってツーリングしてみたら同年齢ですぐに意気投合した。それからよくツーリングをした。
峠では大型乗りを見つけると、後ろからよく突付いた。
お互い、大型乗りはパワーを持て余していて適当な走りをしているから、俺らが現実を見させてあげないといけないと言っていた。大型乗りが抜かれるたび、俺らは小休憩時にそれを話題にした。
あんなに大柄な車体は不要、パワーバンドなんてどこで使えるのか分からないくらいなら、クォーターの方がブン回せる快感を得られるから楽しい…そんなことを合言葉のように言っていた。
ある時、ソロツーリング中に赤いZZR1100を追いかけた。うんと引き離された。その頃から自分では認識したくないような、自分の内側にある概念が変わり始めている予感を日常の隅で感じていた。
ある時、自分はお金が無くて中免で我慢しているのを、大型乗りを否定することで正当化していると心のなかではっきりと認めた瞬間があった。
それから、件の彼とのツーリングで交わされる今までの合言葉のような話題が、負け惜しみに聞こえて、峠ではリッターバイクと分かれば後ろから突付くような行為が稚拙に思えた。
この捉え方の変化は急激だった。炭酸飲料の栓を開けた時に吹き出すような…急激さだった。自分でも何となく遠ざかる意識があった。でも、それを自分の内側にあるスポットライト上に出すことは、意識と無意識の絶妙な感覚の中で避けていた。
僕は彼との距離をおいた。
半年の月日が経ち、僕は大型自動二輪の免許を取得していた。
いつも走っていた峠を、新しいリッターバイクで駆け抜ける。驚いた。
とても楽で、エンジン音は静かで風景を全身で受け止める余裕があるということに気付かされた。
大柄な車体を自分の腕でコントロールするという楽しみがあるということも気づいた。
心に余裕が持てるのを自覚した。
ふと後ろから甲高いエンジン音がしたかと思えば、あの彼のオートバイが追い越していった。
僕は…アクセルをひねらなかった。その気すら起きなかった。
可哀想、そんな感情すら覚えた。
まだ必死なのか、呆れたような感覚すら覚えた。
自宅に戻り、数年ぶりに彼のSNSページを見た。
相変わらず、件のクォーターマシンだけが愛車のようだった。
週末ごとに撮られているであろう、その愛車の写真は今の僕から見れば、とても見窄らしく目に映った。
最新のコメントにはこう書いてある。
「今日も大型を突付いてやった」
恥ずかしい過去を思い出し、声を出したくなるような感覚になって…僕はページをそっと閉じた。
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