▶語り継ぐ者
アウトラインから無理矢理抜かされた。あまりにも突然の出来事と、スピードで驚いた。景色ばかりを見ていたのだから仕方がない。後方確認を怠っていたこちらに落ち度がある。
しかし、抜かれる際にミラーがとても近かったような気がして、だんだんと傍若無人さに腹が立ってきた。直後に僕はスロットルを思い切りひねって追いかけた。
徐々に距離を狭めると見えて来たのはフルパニアのBMW K-RSだった。ナンバープレートの枠に「BMW Motorrad」と書かれており、左にパニアがマフラーを避けるようにして抉れているので、すぐ分かった。
フルパニアのKを、フルパニアのRが追いかける図…ちょっと面白いと思った。
ライダーのフルフェイスが少し動いて、どうやら相手はミラー越しに僕の存在を認めたようだった。それは一瞬の話で、くだんのKは1200cc 130馬力のパワーで加速して行った。明らかにこちらを意識しているように見えた。僕のR-1150RSも追いかける。
2台の縦クランクマシン、「RS」が峠で張り合っている。
相手はラインが無いかのように、対向車線も使いながら駆けている。その後ろを僕はキープレフトで追う。
ここは奥武蔵 山伏峠。峠を越え、下に差し掛かる。相手は疲れてしまったのか、譲ってくれた。僕はなんのサインを出さずに抜いた。九十九折りのカーブを下り、チラとミラーを見たときにKの姿は見えなかった。
麓の茶屋に滑り込んだ。リアディスクブレーキがチリチリと音を立てている。お汁粉をすすっていると、先ほどのライダーと思しき人が入って来た。
「あそこのボクサー、貴方ですか?いやはや速かった…ボクサーも意外と速いんですね」
「フル加速されたら負けますよ、たかが80馬力程度なので」
2、3会話をして彼はアイスコーヒーが運ばれてきて、すぐに飲み干した。
「さて…やっと渡せるな」
男は、確かにそう言った。僕は背中を向けていたので、僕に言ったかどうか分らなかった。でもそう聞こえた直後に座敷から立ち上がる音を聞いたので、なんだか振り返る機会を逸したようで、僕は聞き流した。
お汁粉とゆずジュースを腹に収めて、会計しに行くと店主が「先ほどの方が支払っていきました」と言う。支払われるような義理はないのに、はて?と感じながらもお得な気分だった。店主が口を開いた。
「それで、先のライダーから預かりものです。これを貴方に、と」
そうして渡されたものは、小さな「喧嘩札」だった。奥武蔵 山伏峠 と書かれている。木製の喧嘩札は黒ずんでいて、もう随分と古いものと分かる。「はあ、これはなんですか?」と店主に問い合わせた。
「この喧嘩札は、この峠を走り回っているライダーの間で継がれているもので、自分より速いライダーに渡すものだそうです。掟ですね。いつからか知りませんけど、ここに茶屋を建てた時からあったみたいですね。一番遠いライダーで青森の人、という話を聞いたことがあります。」
先のライダーの独り言の内容とも繋がる。誰が始めたことだろうか。粋なことを考える人もいるんだと思った。
茶屋の前を名も知れぬライダーが駆けて行く。
次は貴方がもらう番かも知れない。
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