299の怪奇
夏盛りの季節、何も考えずにオートバイにまたがって国道299号を走るのが好きだ。
山間の緩やかなカーブを、何も考えずに右へ左へとオートバイを傾ける。
奥武蔵の山々へ吸い込まれるような、長い直線を走っている時に、奇妙な店を捉えた。
店先に「食事処」と、梵の字で書かれた暖簾と旗が立っている。ふと興味が湧いたので、緩やかにオートバイのスピードを落とし、店先に停車した。
心地よい風が、暗い間口から吹いてきて、暖簾を揺らした。
上がり框でライディングブーツを脱ぎ、座敷に上がってみたものの、誰もいない。誰も出迎えてこない。「こんにちは」と言ったところで、ひとりごちる。
暗さに目がなれた。主が顔を出してくるまで室内を眺めてみると、大正のような昭和のようなつくりだった。
そこへ、どこからか音もなく店主が奥の間に立っていた。
「いらっしゃいませ、何もお構いはできませんが、どうぞおかけください」
重厚な木材加工されているテーブルに腰を下ろせば、その傍らに錆びついたレトロな扇風機が首振りをしていたのに気づく。
この店のおすすめは、鹿肉カレーだということで、それをいただく。
食事中、やけに蝉の声だけが聞こえて、すぐ外の国道の喧騒は耳に入ってこなかった。
鹿肉のカレーは、美味しかった。
この店を立ち去るまで、誰一人ここを訪れる者はいなかった。
後日、再びそこを通ったときにはその店はなかった。
車を停め、訝しる。空地になっているが、確かにここだったのだ。
農作業の帰りと見られる爺が通りかかり、事の顛末を話す。
「そんな店は今日も昨日も、ずっと前からなかったよ」
狐につままれたような気がした。
爺はそのまま立ち去り、僕はなにもない空地に取り残された
やけに蝉の声だけが聞こえていた。
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