フルコンバ

▶扉



諸橋にとってイエローラインは関係なかった。クルマ、オートバイ関係なく無理やり抜いて行く。峠を下ってきた。

ついさっきまで、親友の啓太郎とツーリングだったが、ほんの些細なことで喧嘩別れをしてきた。

諸橋はそのまま帰路に着いた。始まったばかりの夏だった。

数日して、諸橋宛に連絡が入ってきた。


「啓太郎が死んだ──」


うだるような暑さが遠ざかり、蝉の声も意識から消えた。信じられなくて眩暈がした。

葬式は次の日であった。箪笥の木材の匂いを含んだ喪服が夏の日差しに照らされている。なぜ…?という思いを抱きながら、諸橋は会場に向かった。中はお線香の匂いで満たされていた。記帳を済ませ、引換券をもらった。諸橋は汗ばんだ手でその引換券をポケットに押し込んだ。ふと、お経の声が意識に入った。

諸橋は人の流れに任せたまま、焼香の列に参列した。諸橋の番になった。右を見ると、啓太郎の母が立っていた。右左とお辞儀をした。左側の人は知らない人だった。時折、鼻を啜る音が聞こえた。目の前には、啓太郎の写真があった。諸橋の目が見開き、動悸を打った。見覚えがある写真なのだ。確かに、啓太郎本人だけ綺麗に切り取られている写真だが、顔の向き、笑い方、光の当たり方からして…半年前に一緒にツーリングした時に撮影されたものだと判った。

2階に食事が用意されているという案内を受けたが、諸橋は辞退した。ただ、会場を出る前に翌日の告別式の時間を問い合わせていた。帰宅して、精神的に緊張していたせいか、諸橋はすぐ眠ってしまった。

昨日と変わらず、そこに啓太郎の写真があった。会場に足を運ぶ人の数は、明らかに減っていた。

椅子に座ってすぐに、啓太郎の母が諸橋のもとへやってきた。


「もろちゃん、昨日も来てくれたのね。夏休み中なのにこんなことになって、今日もありがとうね」


啓太郎の母の声は、意外にも落ち着いているようにみえた。

長いお経に感じられた。昨日と違って、親族だけが焼香をしていた。告別の時間となった。

葬儀屋の従業員が忙しなく会場の椅子を撤去し始め、活けられた花を切っていく。諸橋は目のやり場に困って、従業員の所作を見つめた。花は、生きのいいものを選んで切っていた。


「それでは棺の中へ、花を入れてあげてください──」


抑揚のない、しかし遺族を前にして明らかに遠慮していると分かる声が会場内に響いた。

親族が中央にある棺の中へ、次々と花を手向けていった。「ありがとうね」そんな一言が時々聞こえた。

次に、親族以外の番となった。3列に並び、少しづつ棺に近づいて行く。手向けられた花の向こうに、生気のない顔が見えた時、諸橋は再び動悸を打った。果たしてそこに、啓太郎の亡骸はあった。

唖然としている間に、あとの2人が「バイク好きだったもんね」「いい顔してる…」と言いながら、花を手向けた時、諸橋は事の重大さをやっと理解した。

唯一の親友だった。唯一のライダー仲間だった。どこへ行くにしても、いつも啓太郎と一緒だった。

目の前に、眠っているような啓太郎がいる。花に囲まれている。まるで蝋人形のようだった。まるい顔に、いつもちょっと赤かった頬。メガネがよく似合っていた。こんなにもまじまじと啓太郎の顔を見るのは初めてだった。

ふと視線を動かすと、ブリキのオモチャが入っていた。胸から込み上げて、涙に変わった。

喧嘩別れした次の日、啓太郎が事故で入院していると報せを受けた。その時はソロツーリングで遠方に出かけていて、そのまま直行した形を取ったが、部屋に到着した時には啓太郎は寝ていた。色々な管が繋がれていて、包帯も巻かれていた。起こすのも気が引けたので、諸橋は胸辺りに自分の乗っているカワサキZZR1100のブリキ製の模型を置いた。諸橋にとって、これが見舞いに来たということと──あの日喧嘩別れした謝罪の意味であった。


「本来、釘を打つところではございますが…ここでは親族の方々が棺の蓋に手を掛けていただき、釘打ちとさせていただきます」


親族が次々に棺の蓋を持った。啓太郎の母が、諸橋の方を振り向いて手招きした。


「もろちゃん、あなたもしてあげてちょうだい」


棺は、音を立てず、静かに閉じた。

棺はストレッチャーのような台に乗せられていた。すぐに従業員が押し運ぶ段取りをする。

抑揚のない声が再び響いた。


「それでは、このあと午後2時よりXX聖苑にて最後のお別れとなります。お時間ある方は、どうぞよろしくお願いします」


群衆が、出口の方に殺到した。その中で、諸橋を呼び止める声がした。呼び止めたのは、啓太郎の母だった。彼女は、喪服とセットで使う黒いバッグから何かを取り出した。それは葬儀という場所にそぐわない、あまりにも唐突なものだった。


「これね、啓太郎が入院中にもろちゃんに渡しておいてくれって頼まれたものなの。」


棺がすぐ横を通っていった。啓太郎が諸橋に渡したかったものは、オートバイのブレーキペダルだった。

諸橋は涙を溢れさせながら、ブレーキペダルを受け取った。

棺が霊柩車に入るところだった。同じ空間に、諸橋と啓太郎がいるのに、とても遠かった。

道中、諸橋は泣いていた。オートバイに乗って泣くことはこれが初めてだった。今走っている道路も、いつの日か啓太郎と駆けたツーリングルートだった。走りながら、1つ1つが思い出された。信号待ちでエンストして倒れたこと。横並びになった時に、啓太郎がふとこっちを見て微笑んだこと。

そう──あの日、俺の誕生日だからということでツーリングを計画してくれたんだ。

湖に到着したら渡したいものがあるから…そう言っていたのを思い出した。喧嘩別れする時は、そんなこと全く忘れていた。

啓太郎は、怒ってオートバイに跨って出て行ってしまった諸橋を少し迷ってから追いかけた。

パニアケースの中に、諸橋へ渡す誕生日プレゼントとしての、ブレーキペダルが入っていたのを思い出し、渡すついでに仲直りを思いついた。思い立った時には、諸橋はだいぶ遠くへ走って行った。

啓太郎はプレゼントを…ブレーキペダルを渡したい一心で、俺を追いかけたんだろう…覚えている。ツーリング中に転んで右のブレーキペダルを折り曲げてしまった。値段を調べてみたら、結構いい値がすることが分かった。しかし乗る分にはあまり不都合がないからそのままにしていた…

…無理して追いつこうとして、峠の下りで採石場のダンプに接触して事故を起こしたんだ。事の真相を確認したくとも、啓太郎とはもう話ができない。それが辛くて、さらに泣いた。でも間違いない事実だと確信した。

きっと、入院して起きた時にブリキのオモチャが置いてあるのに気づいて、俺にブレーキペダルを渡すことを思い出したのかも知れない。経緯はどうであれ…事故に遭って入院中であるのに、俺に渡したい気持ちを持ち続けていたことを思うと、諸橋は涙が止まらなかった。

諸橋のオートバイはXX聖苑に滑り込んだ。オートバイで来ること自体が珍しいのか、係員に不思議な視線をもらったが、諸橋にはなんてことなかった。諸橋はジャケットを脱がず、ヘルメットを持ってエントランスで霊柩車を待った。ほどなくして、啓太郎の家族を乗せたクルマがモータープールについて、ぞろぞろと降りて来た。


「啓太郎のおばさん…最後の見送り、この服装で見送りたいのですが良いでしょうか」


喪服はやめた。最後は啓太郎の好きだったオートバイの格好で諸橋は見送りたい、と決めていた。

啓太郎の母は微笑んで言った。


「ぜひそうしてちょうだい。啓太郎も喜ぶわ」


蝉の声が静かな館内に反射している。夏なのにひんやりとした館内は暗く、亡き人との別れにふさわしい雰囲気を漂わせていた。運び込まれた棺が、ある部屋に入れられ、諸橋たちはそこに案内された。最後の焼香だった。

焼香後に、ガラス張りの部屋に案内された。5つ扉があって、中央に啓太郎の札が立てられていた。

右手から滑るような静けさで棺が運び込まれ、ガラスを隔てた向こうで警備員と思われる人が脱帽して一礼をした。


「これから…故 野島啓太郎さんの火葬を執り行います」


左手からもう一人の警備員が入って来て、扉横の鍵を回した。

扉は開き、棺は手際よく収められた。最後に再び、警備員がガラスを隔てた諸橋たちに向かって一礼をした。

扉は音もなく…静かに閉じた。これが啓太郎との永遠の別れだと思った。

群衆の足音が遠ざかる中、諸橋はただずっと啓太郎がいるであろうガラスの向こう──あの扉を見つめ続けていた。ただひとり。孤りとなったライダーが立ち尽くしていた。


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週末は森にいます