フルコンバ

キャンプはギア自慢の場ではなく不便なこと自体を楽しむもの

 

道志川のほとりにて

俗化の極み、ギア自慢がうざい?

近年のキャンプブームによって、今までキャンプに興味がなかった層が入ってきた。

いわゆる俗化である。

キャンプ場を見渡せば、まるでキャンプグッズを取り揃えたお店のような仕立てのキャンパーを見かけるようになった。

個人の価値観はそれぞれで、僕が彼らにとやかくいうつもりはないが、キャンプとはもともと不便なこと自体を楽しむネイチャースポーツではなかったか?と思うのだ。

趣味の世界というのは、いつでもどこでも、購入金額と機能性を以て一種のステータスを形成するきらいがある。

例えばサイクリストなら、カーボンフレームで軽量、100万円以上がすごいという話や、我らオートバイ乗りなら、4気筒DOHCでフルアジャスタブルサスペンション、0-100km/hを3秒…といったスペック至上主義のことを言う。

キャンプの世界もこの傾向があって、やれどこぞのメーカー・ブランドで揃えたほうが良いとか、まるで家と変わらないようなデスク、チェア、はたまた音楽プレーヤー…それぞれが軒先でキャンプグッズ争いをしているのだ。

ここまで来ると、風呂敷を広げたギア自慢大会のような気がして、目につく鼻につくのだ。


ツーリングライダーならテント設営ができて当然という風潮



バイクに乗せられているだけのライダーが陥りがちな考え方に、ツーリングをするバイク乗りはキャンプができて、もちろんテント設営もできるという勘違いがある。

自分ができるから、他人も同じようにできると考えているタイプの人だ。

この手の人々は、公共交通機関に乗車している、泣き叫ぶ赤ん坊や元気いっぱいに遊んでいる幼稚園の子どもたちに対して”うるさい”と感じていることが多い。

要は、自分ももともとは未熟だったのに、誰も見ていない、もしくは見られていたけど、一期一会の状況下で、自分なりに経験を重ねてミスをしなくなったゆえに、新たに行く先々の人たちに”これくらいできて当然”といった態度をひけらかすのだ。

これほど滑稽な恥さらしは無いだろう。

過去、自分も未熟で四苦八苦したはずなのに、その経験を棚に上げ、他人には上から目線でアドバイスをしたり、心にもない言葉を発する。歪んだ承認欲求の裏返しとも言える。

教え魔の存在

キャンプ場でお願いをされていないのにも関わらず、世話を焼いてきたり、必要以上の干渉をしてきたり、気分を害するような注意をしてきたり。皆さんにも被害の経験がお有りだろう。

この手の世話焼きおじさんや、教え魔といった存在は何もキャンプだけではない。
ボーリング場や登山、陸運局の書類手続き、普段の仕事にも潜んでいる。

彼らは、教えることに至福のひとときを感じているのではない。
単に、自分は他人よりも多くを知っていることの優越感、今で言えばマウンティングを行うことで、自己陶酔をしているだけなのだ。

そこに高貴な思想や哲学は存在しない。
乱暴に言えば、他人を巻き込んだオナニーをしているだけなのだ。

不便なことをあえて実践して楽しむ贅沢

さて、話をキャンプのことに戻すと、キャンプという非日常を行うからこそ、文明社会から少し外れて、不便なことを楽しもうではないか。

別にテント設営をしなきゃいけないなんてことはない。

薄手のシートと紐を使って、バイクと樹木を活用して屋根を作り、その下で過ごしたって良い。天気予報さえ許せば、テントなしの青空シュラフで過ごしたって良いのだ。
料理をするのに、バーナーをわざわざ買ってやらなくても良い。
固形燃料でちまちま作るのだって良いじゃないか。

ランタンだって要らないかもしれない。
ツーリング中に出会うディスカウントストアなどで入手したローソクを明かり代わりにしても良いじゃないか。

普段は読まない本を持ち出しても良いだろうし、音量を絞ったラジオに耳を傾けて夕闇を過ごすのも良いだろう。

キャンプは、それぞれの非日常、それぞれのチャレンジ方法で愉しめば良いと思う。
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