▶影を重ねて
嫌いだった。
ある時までは同じ職場だから、必要あれば話をしていた。
日常をひっくり返すようなことが起きてから、嫌いになった。
「おはようございます」
「……」
このやり取りの一件後、岸田悠人は僕に話しかけなくなった。
僕の心の中でいろんな想いが反射している。
数ヶ月経ち、不意に彼が話しかけてきた。
まるでタイミングを見計らったかのように、終業後の人がまばらになった工場内で。
誰も近寄らせない雰囲気を出しながら日課の終業後読書をしていた僕にとって、
話しかけられたことは、職場でつけ始めた仮面を拾う間も無く、声に反応して顔を上げてしまった。
「望月さん…あの、明日一緒に…ツーリング行きませんか」
驚いた。さっきまで読み込んでいた松本清張の小説の内容なんて、すぐに消え去った。
目を泳がせながら僕は…答えた。「…いいですよ」と。
彼に一瞬の安堵の表情が見えた後、明日の予定が書かれた紙切れを渡してきた。
「こ、これ渡しておきます…おねがいします、では…」
紙切れに書かれた文字の意味を理解するまで、まるで僕と彼しかいないような錯覚にあった。
すぐに終業後の工場らしい、エアー圧が抜ける音が僕の意識の半分を覆う。
目の前に雄大な富士山が見える。山梨県道志村巖道峠。
ここがどんな場所であるのか、他でもない僕が一番よく知っている。
道志みちに入って、まさかとは思ったがここへ連れられた。
彼は何を考えているのか。知っているのか。
エンジンを切った静寂の中、ヘルメットの中で動悸の音がする。あまり彼を見ることができない。
彼もまた、どこか…僕の方を見ないような意識をしているのが分かる。視界の端で見ているような。
どちらが先でもなく、ヘルメットを脱ぎ始める。いつ来ても、ここは何も聞こえないくらい静かだ。
「なぜ…こんな場所を知っている?」 僕は尋ねた。
彼は、何か決心したような表情で、目をまっすぐ見て語った。
「望月さん…謝らなければならないことがあります。半年ほど前、望月さんの手帳が机の上にあるのを見つけ、中を見てしまいました。その時に、望月さんの親友であろう人と一緒に写った写真が入ってました。その裏にここの峠の名前が書かれてました」
「…そうか」 まだ動悸がしている。彼は間一髪入れず、続けた。
「手帳を読み進めていくと、命日と名前が書いてあり、きっと写真の彼だということがわかりました。自分で言うのが恥ずかしいのですが、彼は自分に似ているなと思いました。見つからないうちに読むのを止めました。それから色々と考えていたら、分かった気がしました。」
もう、僕は彼を直視できない。彼は続ける。
「きっと、望月さんは似ている自分と親友のことを重ねていたんだと…だから親友が亡くなって、それに似ている自分を遠ざけたんだろうと。その頃からだったような気がしたんです、なんだか俺にだけ…話しかけづらいような雰囲気を出していたのは…あれほど仲良くしてもらっていたのに、なんだか遠ざけられているのが悲しくて。それで考えました、失礼かもしれないですが、望月さんの親友のようにバイクに乗って、この場所を一緒に尋ねて…」
僕は目の前がぼやけた。ぽたぽたと涙が革ジャンの上を滑り落ちた。
「初めのうちは、やたらと俺に仲良くしてくれたのは…親友に似ているからというのも、あの時分かったんです。望月さん、俺は亡くなった親友の代わりにはなれないですが…俺と重ねることで少しでも悲しさが癒えるのでしたら…」
「和俊…和俊すまない…」
亡くなった親友の名前が溢れた。落ちた雫がブーツの先端をたくさん濡らした。
肩に手を置かれた。確かにそれは優しさを感じる感触だった。
見上げると、西陽に照らされて微笑む親友が居た。
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