フルコンバ

既存腕時計メーカーの傲慢とApple watchの革命


外されない腕時計を真剣に目指して開発されたApple watch

Apple Watchの外装は、セラミックスにせよステンレスケースのモデルにせよ、同価格帯の時計よりはるかに良くできている。

このふたつに限っていうと、外装の質感は50万円程度の時計に肩を並べるのではないか。多くの時計関係者が、初代Apple watchリリース当時に「こんなものは時計ではない」というようなぼやきをしていたが、やがてApple Watchへのコメントを控えるようになった、という事実に皆様はお気づきだろうか?

ある意味で腕から外される→買い替え需要を喚起させる既存腕時計メーカー


Apple watchは優れた着け心地である。リーマンショック以前、多くの時計メーカーは時計を買い替えさせるため、頻繁にモデルチェンジを繰り返していた流れがあった。極めて品質の良い製造マシンが揃い、良い工業製品を作り出せるようになったこの時代の時計に、いわゆる決定打や定番が少ない理由は何であろうか?

それは今になって既存腕時計メーカーの関係者が渋々認めているところだが、彼らは決定打となる新作を”あえて”作らなかったのである。あえて作らないことで、買い替え需要を定期的に喚起させ、自らを潤うように仕向けていたのだ。

この構図は、今の凋落しつつある日本車及び家電メーカーと重なる部分がある。機能を小出しにし、モデルチェンジごとの差異は少なく、むしろ将来に渡ってアップデートができるように、あえて不便な要素を作っておく。

腕時計の着け心地も同様で、一部の時計メーカーに関して言うと、あえて優れた着け心地を与えなかったようにすら思えてくる。

ある関係者はこう語る。

「頻繁に買い替えさせるためならば、着け心地は二の次。むしろ悪い方がいい」

真相は定かではないが、少なくともApple watchのデビュー前後の腕時計メーカーを見ていると、半分は当たっていると思う。

2015年に発表されたApple Watchは、時計メーカーがあえて無視してきた装着感に、きちんと向き合ったプロダクトだった。時計の重心は低く、ケースはビジネスウォッチ並みに薄く、メッシュベルトは完全な微調整が可能だった。

時計メーカーは外される時計を作ることに躍起になっていたわけだが、一方でAppleは、外されない時計を作ろうと試みたのである。対象的である。

しかしAppleは、時計メーカーに対抗すべく着け心地を良くしたわけではない。それはAppleの本質を見誤っている。

カリフォルニアのIT企業は、ある意味、スイスの時計ブランドよりもはるかに「悪辣」だ。

Appleが本当に行いたいことは、Apple Watchを売ることではなく、そこから収集したデータでビジネスを行うことである。数百万人の健康データを分析すれば、とりわけアメリカでは、ビジネスになる可能性は高いだろう。

つまりそのためには、質・量共に十分なデータを集めることが必要で、露骨な言い方をすると、腕から外されない時計が必須になる。

常に腕にApple watchを巻いてもらい、豊富なデータを吸い取り、ビッグデータ活用をしたいのだ。

Googleも最近、Pixel Watchを発表したが、おそらく同じビジネスを考えているはずだが、プロダクトを見た限り、Pixel Watchを含めGoogle製のOSを搭載した多くのスマートウォッチは、装着感に対して驚くほど無頓着に見える。

Apple Watchの成功を見て、多くの時計メーカーがスマートウォッチの分野に参入した。今やアメリカで500ドル以下の時計を売りたかったら、スマートウォッチ機能は不可欠という意見さえ聞くほどだ。

しかし、着け心地まで考えたものがいくつあるかと思うと、はなはだ心許ない。

多くの時計メーカーは、今なお消費者に買い替えさせたがるし、装着者の腕を占拠することも望んでいない。自社の複数のラインナップを、巧みな宣伝文句で複数買いさせ、”ライフスタイルに応じておしゃれの一つとして”着せ替えさせたいようにすら思える。

しかしスマートウォッチの時代、最終的な勝者になるのは腕上を占拠したメーカーになる。2023年のApple watchを見る限り、これは真実だ。今やApple watchは勝者である。

カリフォルニアの新興IT企業が、100年を超える老舗の時計メーカーよりも着け心地を考えていたという事実は、決して軽くはない。

価格帯によって視認性を犠牲にする、”時計”メーカーとしてあるまじき行為

日本の腕時計メーカーは、価格帯によって時計としてあるべき「視認性」を”あえて”犠牲にしている。

セイコーがその最も顕著なメーカーである。



この2つは同じセイコーの、クォーツ腕時計であるが、価格帯は全く異なる。セイコースピリットに、グランドセイコーだ。針の長さに注目してほしい。時針・短針ともにだ。

廉価帯に位置するセイコースピリットは、針が細く、インデックスにまで届いていない。インデックスはのっぺりとしている。

対してフラグシップであるグランドセイコーはどうだろうか。針は丁寧に研磨され、太く、インデックスにまで届いている。針の位置が微妙になる時間帯であっても、即座に「今何時」であるかを確認することができる。インデックスも太い。

これらの違いは、搭載されているクォーツムーブメントの性能差である、という指摘がある。廉価帯のクォーツムーブメントはトルクが弱く、太い針を回せず、グランドセイコーのような高級クォーツムーブメントはトルクが強く、立派な針を回せると。

確かにこの指摘は間違っていないが、本質的ではない。

今度は、シチズンの腕時計を見てみよう。こちらのメーカーは、セイコーに比べて良心的で、時々、ブランドヒエラルキーを自ら破壊している時がある。



これら2つのシチズン腕時計は、クォーツである。フラグシップであるザ・シチズンと、廉価帯のシチズン・コレクションだ。シチズンというメーカーは、視認性でヒエラルキーを形作っていないことが分かる。廉価帯のシチズン・コレクションでも、針はインデックスに充分届き、さらにトルクが弱いエコドライブ(ソーラー発電駆動)でありながら、針の面積を広げ、視認性を犠牲にしないように、注意を払っていることが見て取れる。セイコーとは対象的だ。

シチズンはどちらかと言えば、使っているムーブメントの計時精度と、外装品質、時計の機能性でヒエラルキーを構成しているメーカーだ。だから、セイコーのような、あからさまに廉価帯ほど針が貧弱で、インデックスに届かないような”視認性悪”のラインナップは少ない。

Apple watchはどうか?


そこで、Apple watchをもう一度引き合いに出してみる。

結論から言えば、Apple watchはどのモデルにおいても、極めて高い加工精度で、画面面積や搭載しているプロセッサ、機能に差異はあれど、外装の品質や視認性で差別を行っていない。どのモデルでも、Appleならではのシームレスなユーザー体験と、超快適な装着感を得られる。

見方によっては、こういったデジタルガジェットは”コモディティ化”によって、五感を通して感じる要素で差別化を行うのが難しいのかも知れない。ディスプレイといったパーツは大量生産したほうが、製品自体の価格が下がり、より多くのユーザーに使ってもらえるために、ごく自然に”どのモデルも同じディスプレイサイズ”になるだろうし、モデルごとに外装パーツに差別化を行っていたら、採算性が取りづらい。

だから、Apple watchといったデジタルガジェットは、OSや搭載ソフトウェア側で差別化を行うという手法を採用し、高い利益率とユーザー体験を両立している。もはや、既存の腕時計メーカーのモデルヒエラルキー戦略は、低い利益率、頻繁なモデルチェンジによる所有オーナーの満足度低下、統一されていないブランディングによるユーザーロイヤリティの低下により、結果的に自らの首を絞める時代になってきた。

\ この記事をシェア/
Image

この記事を書いた人
Author
Lorem ipsum dolor sit amet, consectetur adipiscing elit, sed do eiusmod tempor incididunt ut labore et dolore magna aliqua. Ut enim ad minim veniam, quis nostrud exercitation ullamco laboris nisi ut aliquip ex ea commodo consequat.

フルコンバ

週末は森にいます